イオンでジャスコを振り返る
地味にイオンが増えている件
(※2020年6月/店舗数等修正)
2007年10月25日にグランドオープンとなったイオンモール新潟南。以降、イオンは新潟県内での大型店舗の出店計画を示していませんが、食品を中心とした小型店舗とグループ店舗は地味に増えており、30店舗達成は時間の問題なのかと。
イオンスタイル
イオンスタイルラブラ万代(2016年7月22日/イオンラブラ万代店から転換)
イオンスタイル中条(2018年11月8日/イオン中条店から転換)
イオンスタイル上所(2019年4月27日/新規)
イオンスタイル新津(2020年5月28日/新規)
計4店舗
※イオンスタイル新潟南を除く
イオン食品スーパーマーケット(SM)
イオン亀田店・笹口店・山二ツ店・上木戸店・藤見町店・荒川アコス店・村上肴町店(以上、2013年/マックスバリュ跡より)
イオン下門前店・イオン上越寺店(以上、2020年バロー跡より)
計9店舗
イオングループ
清水フードセンター全15店舗(2015年10月傘下)
新潟のイオンでジャスコを振り返る
2011年2月28日をもって、称号「ジャスコ」は消滅。翌3月1日からは「サティ」などを含め、称号は「イオン」に統一されました。つい最近の出来事と感じていたものの、いつの間にか沿革年表の位置も上がってきました。当時の記憶も徐々に薄れつつありますので、個人的に印象の深かった店舗について、簡単ではありますが、記録しておきたいかと。
※本ページ内で内容等、異なる点ありましたら、ご指摘いただければ幸いです。
個人的に印象の深かったジャスコたち
ジャスコ長岡店(増床前)
沿革では1989年オープンとあり、まだ店舗巡りなど目覚めてもいなかった頃、オープン間もないJマークの看板を目指して、自転車ではるばる原っぱを超えた記憶が。
いまでこそ片側2車線の大手大橋も、1985年に片側1車線で開通したばかりで、当時の日本赤十字病院(現・ウオロク長岡店)の建つ対岸から、ジャスコまでを川風に吹かれながら、自転車をこいで渡った子どもたちも多かったかと。
店舗北側の立体駐車場もまだ建設されておらず、青空駐車場が広がっていた時代。屋上駐車場から見渡す景色は、西山山系から遠く弥彦山を背に一面のススキ野原と田園が広がり、信濃川の旧堤防跡がCの字に残っていました。今でこそ、国道8号線まで接続している大手大橋通りもジャスコ側で行き止まりに近い状態で、大きな建物が少ないこともあり、今よりジャスコが大きく見えました。
その後、のどかなススキ野原だった一帯も区画整理が進み、リバーサイド千秋(アピタ長岡店など)の出店や日赤病院の移転を機に、一大商業地へと変貌。立体駐車場建設を含めた増床では、エスカレーターやエントランスの位置変更はありましたが、基本的には原型に近い形で継承されているのかと。増床からしばらくも、Jマークが店内随所に残っていました。
ああ。今思えば、写真を撮っておけばよかったと。
店舗以上に、周辺の環境変化が印象的な長岡店です。
ジャスコ三条店(食品館増床前)
沿革では1982年オープンとあり、まだ店舗巡りなど目覚めてもいなかった頃、車に乗せてもらって行った記憶が。周辺には水田も多く残っていました。
Jマークを掲げる本館の1階は食品フロアとテナント、2階は衣料品や生活雑貨にテナントなど、かなり詰め込んだフロアでした。ファミリーレストランのグルメドールや、地元の野島書店も記憶しています。
後に敷地南西側の駐車場に食品館を増築、本館のスロープを移築するなど、県内では珍しい別棟物件として印象的な三条店です。
ジャスコ三条昭栄店(通称パルム店/2001年1月31日閉店)
沿革では1988年オープンとあり、三条市中心部の昭栄通り商店街の半分ほどを再開発して建設されたパルム1・2・3。ジャスコを中心としたパルム1。マンションとテナントを有する商業施設で構成するパルム2。立体駐車場と一部テナントで構成するパルム3。
今思えば、パルム1は吹き抜けのあるバブリーな建物で、6階建てのフロアをジャスコのほか、地元テナントや飲食店で埋めていました。最上階は飲食店と天窓を記憶しています。三条市内にジャスコ2店の共存となり、三条店の公衆電話には「タクシーをご用命の際は、裏館のジャスコとお伝えください」のような趣旨の注意書きも。
結局のところ、一度も黒字化せずに閉店となるわけですが、商店街の半分ほどを潰したうえ、昭栄通りをぶった切る位置に鳴り物入りで建てた商業施設のうち、パルム1は後に解体され、跡地が銀行の支店へと様変わる姿を、過去に想像できた人はいたのだろうかと。残された神明宮から一帯を眺めると、なんとも複雑な気持ちになります。
ジャスコ新潟店(2012年2月20日閉店)
屋上駐車場のエントランスから1階までの吹き抜けが印象的。1階のセントラルコートには、ラジオ放送ブースもありました。閉店時まで店内随所に、Jマークやジャスコグループといった表記が残っており、マニアにとってはたまらない物件でした。オープン当初は噴水広場やスロープもあったとの話ですが、店舗巡りを始めた頃の記憶には残っていません。
http://www.j-rakuda.com/kaitai/2012/kaitai549.htm
ジャスコ村上店(2006年2月20日閉店)
1階エントランス自動ドア上部に、Jマーク付きの大店法プレートのほか、出店時の西奥羽ジャスコのなごりか、山形の銀行ATMがあった記憶も。1階東側にグルメドールを併設していましたが、あれは増築だったのでしょうか。建て替え復活を楽しみにしていましたが、結果的に建設断念となりました。
http://www.j-rakuda.com/kaitai/2006/kaitai168.htm
http://www.j-rakuda.com/kaitai/2007/kaitai313.htm
ジャスコ村上東店
店舗巡りを始めた頃、店内のフロア案内板上部に「JUSCO HAYAKAWA」と記されていたものの、HAYAKAWAの部分にシールが貼られていた記憶が。
後に調べてみると、沿革では1993年オープンとあり、併設する村上プラザのキーテナントが、当時、新発田市を中心として百貨店の出店を続けていたハヤカワだった痕跡と認識しました。ちなみに村上プラザは、ジャスコ村上東店の出店にともない、田端町の村上駅前北側から移転した経緯があり、閉店後しばらくは廃墟として残っていました。